犬の目

 

 楽しみにしていた作品が刊行されていました。

 

その犬の歩むところ

◆『その犬の歩むところ

ボストン・テラン:著 田口俊樹:訳

 

 

「翻訳ミステリー大賞授賞式」の出版社対抗ビブリオバトル(サイト参照)でこの作品を知ってから、ずっと気になっていた作品でした。

 作品全体を通して「キリスト教的な世界観」が感じられ、読んでいるあいだ、頭のなかに「許し」とか「癒し」という言葉が浮かんでいました。テロや戦争のエピソードも出てきますし、アメリカという国やアメリカの現実を象徴的に捉え、物語として表現している作品ではないでしょうか。といっても、難しく構えて読む必要はなく、素直に読めば、心に何かが響く話だと思います。

 最後に神話が出てくるのですが、「犬は人間のそばにいることを選んだ」というくだりに、犬好きのわたしはぐっときました。

 

 この作品を読んだあと、わんこが主人公のミステリーがむしょうに読みたくなって、こちらをチョイス。

 

誘拐された犬

◆『誘拐された犬

スペンサー・クイン:著 古草秀子:訳

 

「犬もの」のミステリーというと、この本を思い出します。名犬(迷犬?)チェットと飼い主の探偵バーニーのシリーズで、原書では8作ほど発表されているようです。こちらの翻訳書、以前別のタイトルで刊行されていたのですが、いつのまにかタイトルを変えて文庫化されていました。

 ストーリーはチェットの一人称で進むのですが、犬が言葉をしゃべれたら、ぜったいこんな風にしゃべるだろうな、という絶妙な語り口。犬好きなら「あるある」と声を出してしまうような、チェットのしぐさにはやられっぱなしです。ジャンルとしては、コージーよりの、ほのぼの系ミステリーでしょうか。痛い・暗い描写はほとんどないし、面白くて読みやすいので、犬好きさんへのプレゼントにぴったりです!

水滴

 

 ここのところ、意識してノンフィクションを読むようにしています。そして出会った本がこちら。

 

煙が目にしみる

煙が目にしみる:火葬場が教えてくれたこと

ケイトリン・ドーティ:著 池田真紀子:訳

出版社の作品紹介ページ→国書刊行会

 

 夜寝る前に少しずつ読もう、と思って読み始めると、面白くてぐいぐい引き込まれてしまいました。「葬儀」がテーマの本なので、おもしろい、と言っていいのか?ですが、ときたま顔を出す著者のブラックすぎるブラックユーモアに、笑わずにはいられませんでした。

初めてひげ剃りをした死体のことを、女は死ぬまで忘れない」と、なんだか退廃的なフィクションのような書き出しで始まります。幼いころに目撃した犹爿瓩鬚っかけに、死というものにとらわれてきた著者ケイトリン。大学では中世史を専攻し、「死生観」に関する論文を読みあさり、「魔女裁判」を卒論のテーマに選んだ彼女は、大学卒業後、まさに敵陣に乗りこむ意気込みでサンフランシスコの葬儀社に就職し、火葬技師(そんな職業があるとは知りませんでした)として働き始めます。そこでの体験をもとに、ケイトリンが見た死者や家族の姿、アメリカの葬儀の現実、死に対する意識と、ケイトリン自身の葬儀への思いを綴ったのが、この回想録『煙が目にしみる』です。

 死というものを研究していた方が書いただけあって、さまざまな文化の葬儀や死生観が紹介されていて、読みごたえがありました。日本の「イザナギとイザナミの神話」や納棺師の話も登場します。そうした知識と葬儀社での現場体験をもとに、ケイトリンはついには「葬儀プランニング」の会社を設立し、「葬儀の伝道師」よろしく、精力的に情報提供などの活動を続けているそうです。

 

 ここ数年読んだ本のなかに、同じようなテーマを扱った本はなかったので、貴重な読書体験ができました。テーマに驚かず、読んでみてほしい、と人にすすめたくなる、そんな一冊です。

コーヒーと本

 

 先日、出版翻訳を勉強している仲間に声をかけて、リーディング(原書を読んで、あらすじや感想をまとめたレジュメを作る作業)勉強会を開催しました。講師をお招きするコネもないので、参加者がめいめいレジュメを作成し、そのレジュメをたたき台に、各自プレゼン、コメントしあうという形式でした。

 やってみて感じたのは、とても勉強になった!!ということ。これまで、リーディングの通信講座なども受講してきましたが、やっぱり「リーディングは原書を読んでなんぼ、レジュメは書いてなんぼ」なんだなと実感。

 こうした勉強会という形で、締め切りを作ってリーディングをするというのは、実際の仕事に向けての予行演習にもなりますし、モチベーションの面でも大きな刺激になります。そして、自分のレジュメを誰かに実際に読んでもらうという行為は、いい意味でプレッシャーになります。さらに、ほかの人が書いたレジュメを読むと、「こういう風に表現すればいいのか」「こんな工夫もできるんだ」といういろんな発見があります。お互いのレジュメの良いところを真似しあって、次の自分のレジュメに活かしていく。本当に有意義な勉強会でした。

 今回の勉強会用に、わたしはこちらの作品でリーディングしました。

 

The Buried Book  by D. M. Pulley

 

 1952年夏。デトロイトに暮らす9歳の少年ジャスパーは、ある日突然、母アルシアに田舎の伯父の農場へと連れていかれる。「伯父さんの言うことをよく聞いて、いい子にしているのよ」そんな言葉を残して、母は姿を消した。以来、消息不明となったアルシア。なぜか警察も、その行方を追っているようだった。

 ジャスパーは、偶然見つけた母の古い日記を頼りに、母親の過去をたどりはじめる。そして、悲しみと汚れに満ちた大人の世界へと足を踏み入れる。違法行為、スキャンダル、殺人……。アルシアの身に何が起こったのか? ジャスパーは、母アルシアと再会することができるのか?

 

 という、少年ジャスパーを主人公とするクライム・サスペンスです。母を探すジャスパーが、悲しみと困難に立ち向かっていく様子が描かれていて、少年の成長物語としても読むこともできます。長めの作品ですが、テンポよく話が進むので、最後までわりとすらすらと読めました。

 本作の最大の特徴は、アメリカの農村の暮らしや先住民との関係など、時代的、文化的な背景が色濃く表現されているところ。とくにジャスパーが預けられた農場でのエピソードは、物語の強いアクセントとなっています。ストーリーの軸となる母アルシアの過去や、現在軸で起こっている犯罪事件に、居留区や先住民といった存在がからむという構図。白人に搾取される先住民という構図を下敷きに、先住民たちのやるせなさや憤りも描かれていて、物語としての深みも感じられました。

 

 主人公ジャスパーには、過酷な現実が突きつけられます。都会の生活からある日突然農場に放りこまれるという設定もそうですし、肉体的、精神的に傷つく場面がこれでもかと用意されていて、若干9歳の少年が受ける仕打ちにしては、ひどすぎるような気も……。ですが、ジャスパーがあらゆる困難を持ち前の賢さと機転、そして農場での生活で培われていく逞しさで乗り越えていく姿には感動を覚えました!

 ハッピーエンドというよりも、せつないラストです。でも、そういう余韻を残すところも、この作品のひとつの魅力といえるかもしれません。YAの愛読者にもお勧めしたい作品です。

 

 Amazon.comでも800件以上のレビューが寄せられているベストセラーなので(本作著者のデビュー作"The Dead Key"(2015)は、レビュー8000件以上で、星の平均4以上という高評価)、翻訳書が刊行されないかと密かに楽しみにしてましたが、どうやら出なさそう……。

空と鳥

 

 アメリカで話題のベストセラー、翻訳書が刊行されていたので読み始めました。ちょうど終盤にさしかかったところですが、このまま最後まで一気に読みたいけれど、読み終わるのが惜しい、もっと読んでいたい……そんな気持ちになりました。

 原書はこちら。

 

When Breath Becomes Air  by Paul Kalanithi

 

こちらが翻訳書。

 

いま、希望を語ろう

◆『いま、希望を語ろう』 

ポール・カラニシ:著 田中文:訳

出版社の作品紹介ページ→早川書房

 

 原書と日本語のタイトルが大きく変わっている点、おそらく賛否両論あるでしょうが、わたしは邦題も素敵だと思いました。"When breath becomes air"は、「吐息が空気に変わるとき」すなわち「命あるもの」だった息が、単なる空気となってしまったとき、と「生と死」を暗示しているフレーズだと解釈しています。邦題は原題とまったく異なるといえばそうなのですが、ここまで読む限りでは、著者のポールさんは「死のなかに生を見ていた」に違いなく、そういう意味からも日本語の「希望」という言葉を使うのは間違っていない気がします。まさに、希望を語っているわけなので。

 ポールさんが最初は医学ではなく、文学を学んでいたというところが、文章にも如実に表れています。随所に文学からの引用や、それ自体が文学(詩)とよべるような言葉が散りばめられています。彼は「生物学と、道徳と、文学と、哲学はどこで交わるのか?」という疑問の答えを得ようとして、初めは文学のほうからアプローチしていたわけですが、やがて「真の生物哲学を追及する」ためには「直接体験」が不可欠であるという結論に至り、生死と直接かかわる医学(脳神経外科)の道に進みます。そしてがんに蝕まれ、それまでは患者のものであり、医師として傍らで寄り添う立場であった「死」が自分のものとなったとき、ふたたび文学の世界に戻っていきます。そこに、文学の意義、意味を感じました。ポールさんも本書でこう言っています。

死の意味を理解するための言葉を、自分という存在を定義して、ふたたびまえに進む方法を見出すための言葉を探した。直接体験という特権を得たことによって、文学作品からも、学術的な著作からも離れていたのだけれど、今では、直接体験を理解するにはそれを言語に翻訳しなければならないと感じていた。(中略)前進するために、私は言葉を必要としていた。

 何かを書き記すこと、言葉を綴ることは(そしてそれを読むということも)、生きていることの証なんでしょうね。それにしても、文学の意味を、医師が書いた回想録のなかに見つけることができるとは……意外な出会いでした。

 原文を読んでいないのでなんですが、訳文がとても読みやすく、おそらく原文で表現されていたであろう、ポールさんの生きるということへの真摯な姿勢や、ひとつひとつの言葉を大事にする気持ちが、訳文に反映されているのがわかります。エッセイや回想録といったたぐいの作品を訳したことはないのですが、訳者が自分の主観に流されず、原文から感じとった印象を大事にして、そのうえで訳者自身の言葉で表現する、ということが、ほかのジャンル以上に求められるのではないかと思いました。

 今日はここまでにして、エピローグは明日読むことにします……。

ダックスフント

(以前、この写真の子と同じロングヘアーのダックスフントを2頭飼っていました。レッドと、ブルーダップルという、とても珍しい毛色の子でした。)

 

『おやすみ、リリー』のモニターに当選し、刊行に先駆けて読者になる機会をいただきました。ハーパーコリンズ・ジャパンさんに感謝いたします!

 

おやすみ、リリー

 

おやすみ、リリー』 

スティーヴン・ローリー:著 越前敏弥:訳

 

 ハーパーコリンズ・ジャパンより2017年4月刊行(画像はハーパーコリンズ・ジャパンの特設サイトからお借りしました。)

 本作を知ったのは、原書をGoodreadsで見て、読んでみたいなと思ったのがきっかけでした。

 

 

Lily and the Octopus by Steven Rowley

 

 Goodreadsの"Choice Awards 2016"のフィクション部門にノミネートされていて、表紙のダックスフントのイラストに(犬好きなら当然?)目がいきました。そのときは、この作品が日本語で、しかも越前敏弥先生の訳で読めるなんて思いもしませんでした。「愛犬の死」というテーマと、Goodreadsで星5つつけていた方のレビューの「泣くってわかってた!」というコメントを見て、「読んだら泣く」予感はしていたのですが……。結局、まんまと泣いてしまいました。泣いたなんてものじゃない。号泣でした。本を読んで泣くことはままあるのですが、ここまで泣くことはめったにない、というくらい。わたしが愛犬家で、足元にはすやすやと寝息をたてているわんこがいて、いままでに何度も、身近な人や愛犬との悲しい別れを経験している、とくれば泣いて当然かもしれません。

 でも、これほどまでに泣いた理由はそれだけではありません。それは、この作品の、最初の一行から最後の一行にまで、愛があふれているから。心が温かく、元気になる愛もあれば、複雑で、素直に表せない愛、悲しい愛……。いろんな愛が、いろんなエピソードのなかにこめられています。そんな愛に触れたからこそ、泣けてきたのだと思います。

 つらい場面でも涙しましたが、泣くのって、悲しいときだけじゃないんですよね。わたしが最初にじわっときたのは、主人公テッドがリリーと最初に出会った、幸せいっぱいの場面(そこはハーパーコリンズ・ジャパンの特設サイトで試し読みができます)でした。リリーがテッドにはじめて「言った」言葉に無垢な愛を感じ、もうそれだけでじーんと、温かいものがこみあげてきました。そう、わんこってそうなのよ!と。

 出だしでうるっときて、「これは覚悟して読まないと、たいへんなことになる」と気合い(?)を入れたのですが、そのあとも涙腺が刺激されっぱなしで、どうにもなりませんでした。読み終わったいまは、『おやすみ、リリー』というタイトルだけで、目がうるんでしまうほど。このタイトルにも、大きな意味がありました。

 

 とはいえ、この作品はただのお涙頂戴ストーリーではありません。ユーモアや、ファンタジーのテイストもふんだんに盛りこまれています。アメリカ・ロサンゼルスに住んでいる主人公テッドは、セラピーに通っており、なんとなくアメリカのストレスフルな都会人、という雰囲気が漂います(テッドの場合、セラピーに通う理由は、都会のストレスだけではないのですが)。セラピストのジェニーに対するテッドの態度が滑稽なほど辛辣で、毎回笑ってしまいました。

 タコ(リリーの頭にできた腫瘍)が妙に哲学的なのもユーモラス。タコは敵なので、共感はできませんが、とても魅力的なキャラクターでした。そのタコをリリーの頭から追い出すべく、テッドはあらゆる「非現実的」な作戦を繰り出します。わらにもすがりたいテッドの気持ちが伝わってきて、おかしいやら、悲しいやら、せつないやら……(気持ちはわかるよ、テッド)。『白鯨』よろしく海に出て、タコと死闘を繰り広げるくだりがあるのですが、そこは手に汗握る冒険物語といってもいいくらい。こうした一風変わったマジックリアリズムな趣向も、この作品独特の味わいだと思います。愛犬家に限らず、読書を愛するすべての方におすすめしたい作品です。

 

 泣くことがストレス発散、なんていう話もありますが、いい涙を流すことは、悪いことじゃない。わたしの好きなガンダルフもこう言っています。

「わしはいわぬ、泣くなとはな。 全ての涙が悪しきものではないからじゃ」

(『指輪物語 王の帰還』 J.R.R.トールキン:著 瀬田貞二・田中明子:訳 評論社)

荒野 

(渇いてますね……。)

 

 数日前に読んだ"Silent Child"はほぼ一気読みでしたが、こちらも面白かった!数日で読み切ってしまいました。オーストラリアを舞台とした、クライムサスペンスです。

 

The Dry by Jane Harper

 

 連邦捜査官のアーロン・フォークは、少年時代の親友ルークが亡くなったという知らせを受け、20年ぶりに故郷に戻る。ルークだけでなく、ルークの妻と幼い息子までもが亡くなっていた。再び故郷の土を踏んだアーロンの胸に、苦い記憶がよみがる。20年前、アーロンはこの町で起こったある事件の犯人として疑われたのだった。その過去の事件と、ルークの死の謎に、否応なく巻きこまれていくアーロン。焼けるような暑さと渇いた空気が、アーロンの思考を阻む……。

 

 プロットと伏線の張り方が絶妙で、完成度の高い作品でした。これがデビュー作というのはおどろきです。関係なさそうに見えるエピソードが、実は大きな意味を持つ。ミステリーにはよくある設定ですが、さりげなく、かつきちんと、推理に必要な事実が提示されています。読者に対する、作者のフェアな姿勢がうかがえます。謎解き部分で「あれって、これの伏線だったのね!」とわかったときは爽快感をおぼえました。

 主人公アーロンのキャラクターもよかった。連邦捜査官ですが、主に「お金」がらみの事件を担当しているようで、タフガイという雰囲気ではありません。といって、クールというわけでもない。強さよりも、やさしさ、誠実さが前に出ている、そんな人物です。捜査中も、結構ひどい目にあうのですが、感情をあらわにすることはほとんどなく、淡々と捜査を進めていきます。作中、アーロンの性格が「安定している(stable)」と表現されていましたが、まさにそうだと思いました。

 ただ、過去の事件のこともあり、他人に心をさらけ出せない、そんな暗い一面もあり、明るくわかりやすい主人公が好きな読者なら、ちょっといらいらするかも? アーロンの相棒となるラコというキャラクターもいい味だしています。人物を見抜く目を持っているようで、アーロンを信用に足りる人物と瞬時に判断し、友情を築いていきます。そんなふたりが、なかなか見抜けなかった真犯人。わたしは完全にノーマークでした……。作者に完敗!です。

 

 "The Dry"というタイトル通り、町も人も渇ききり、むき出しになる欲望や感情。この「干ばつ」という自然災害はストーリーに彩を添えているだけでなく、クライマックスで重要な意味を持ちます。こういう舞台設定のうまさも、評価が高いポイントではないかと思いました。

 

 

 本作の翻訳版が出版されました!

 

渇きと偽り

 

渇きと偽り 

ジェイン・ハーパー:著 青木創:訳

出版社の作品紹介ページ→早川書房

模型の家

 

 原書を読みかけて、あまりの長さに挫折したこちらの作品、翻訳書で読了しました。

 

すべての見えない光

 

 最後のページを読み終わったとき、こう思いました。わたしは本を読むとき、物語のなかに「救い」を求めているのかなと。少なくとも、フィクションを読むときは、そこになにがしかの「救い」を感じることができれば、いい読書だったな、と振り返ることができる気がします。そしてこの作品もそうでした。戦争。早く大人にならざるを得なかった子どもたち。善人が善人のままでいられない時代。登場するすべての人物が、痛みとつらさを味わっています。その状況で、少女と少年が出会ったこと、少女が少年に助けられたこと、少年が少女を助けることができたこと、そのひとつひとつのエピソードが救いでした。とてつもなく悲しいけれど、ただ悲しいだけではない。ハッピーエンドではないけれど、主人公や登場人物たちが前を向いて終わる。わたしはそんな物語が好きです。

 

 これだけの長編なのに、無駄だと思える文章が一文もないのには驚きました。訳者の藤井光さんがあとがきで語られていますが、ひじょうに「磨きこまれた」作品です。執筆に十年を要したといいますが、言葉、文章、章立てのどれをとっても、作者のまなざしが行き届いている。物語には「炎の海」と呼ばれるダイヤモンドが登場しますが、ダイヤモンドの原石を切り出して、最も美しく見えるカットに仕上げるように、この作品も書かれた、そんな印象です。

 原書を読み切ることはできなかったのですが、翻訳書を読んでみて、原文の良さを余すところなく表現した、磨きに磨いた訳文だと感じました。原書、翻訳書ともに名作だと思います。

 Goodreadsで評判のよさそうだったこちらを読了しました。

 

Silent Child  by Sarah A. Denzil

 

 いわゆる「サイコ・スリラー」ものです。サイコ・スリラーといえば、『ゴーン・ガール』や『ガール・オン・ザ・トレイン』のイメージですが、こちらもやはり女性が主人公(『ゴーン・ガール』は夫婦)です。イギリス・アマゾンの"Crime、Thriller and Mystery"カテゴリーでは、ベストセラーリストのトップにあがっているということで、期待して読んでみました。

 

 主人公のエマは10代で母親となり、生まれた息子エイデンと、夫ロブと幸せに暮らしていた。だがエイデンが6歳のとき、エイデンが行方不明に。それから10年後、つらい日々を乗り越え、離婚、再婚を経て、エマは新たな人生を歩んでいた。出産を間近に控えた彼女のもとに、驚愕の知らせが入る。エイデンが見つかったというのだ。駆けつけたエマが見たのは、16歳になった息子の姿だった……。

 

 タイトルに"Silent Child"とありますが、10年ぶりに再会したエイデンは言葉を失っていた、という設定です。率直に「よくできたサイコ・スリラー」という印象を受けました。まず、舞台背景やキャラクター設定が明確で、登場人物の人数も多すぎるということもなく(翻訳ものにありがちな、この人だれだっけ?ということもなく)、すんなり読めました。

 読みやすいというのもよかったのですが、何といってもこの作品のおすすめポイントは、肝となる「ひねり」の巧みさです。思わず「おおっ」と声が出たくらい。話が7〜8割くらい来たところで、真相に迫る山場が設けられているのですが、そこで1回ひねりがあって、さらにもう1回、そして最後にもう1回ひねってくるという、隙のない展開です。最初のひねりは、そこまでの流れで「やっぱりこいつが犯人か〜」と落ち着きそうになるのですが、そう話は簡単に終わらないよと。

 その山場に来るまでの「煽り」(エマの感情の動きとか、エイデンの行動描写とか)も、これでもかというくらい緻密に描かれています。中間部の展開がやや遅い・重たい感じも受けましたが、終盤のテンポアップを際立たせるためのじらしと考えると効果はあったと思います。わたしはまんまと引っかかり、ギアチェンジしてからは怒涛の一気読みでした。

 

 マイナス点をあげるとすると、エマの人生が盛りだくさんすぎる点? 子供だけでなく、その直後に両親まで亡くし(両親についてはひねりに絡んでくるわけなのですが)、やっと立ち直って、再婚して、もうすぐ出産、というときに、死んだと思った子どもが現れて、身重の体でものすごいストレスにさらされるという……。最後なんて、陣痛が始まった体で格闘し、走り回ってるんですよ!? ちょっと無理があるような……。母は強しなのか?

 それと、真相に関わる重要な人物の影が薄かった点も気になりました。犯人が中盤以降にやっと出てくる(厳密には登場したとは言いづらい形で)人物で、キャラクターや内面描写がほとんどされておらず、ちょっとインパクトが弱かった。あと、個人的に読んでいて一番「感じ悪い」と感じた人物が、最後のひねりのところで一応の制裁を受けるのですが、いまいち釈然としない感も残りました(わたしはもうちょっと別の解決方法もあるんじゃないかと感じました)。

 

 余談ですが、暴力シーン(ほとんどなく、終盤に突然出てくる)が結構生々しかったのも印象的でした。エグイとかではなく、冷静に淡々と描写されているので、かえって怖かった……。まあ、それだけ作者の描写力が優れているという証拠なんでしょう。これが女性作家ならではなのかはわかりませんが、いままで読んだ女性作家のミステリーには、少なからず同じ傾向が見られたように思います。

 

川と町

(なんとなく、作品の舞台の雰囲気に似ていると感じました。)

孤島

 

 昨日、日本翻訳大賞に作品を推薦させていただきました。残念ながら、時間がなくて1作品しか推薦できませんでしたが……。

 サイトに掲載されている推薦文を読んでいると、みなさんうまくまとめていらっしゃる。とても参考になりました。

 そのなかで気になった作品があったので、図書館で借りて読んだのですが、手元に置きたくなったので購入しました。

 

Atlas of remote islands

 

奇妙な孤島の物語 私が行ったことのない、生涯行くこともないだろう50の島

ユーディット・シャランスキー:著 鈴木仁子:訳

出版社の作品紹介ページ→河出書房新社

 

 世界の「孤島」を紹介する本なのですが、写真は一切ありません。シンプルなイラストで描かれた島の地図に、短いエピソードやエッセイが添えられています。一見そっけない感じですが、それがかえって想像力をかきたてるので不思議です。子どもの頃、世界地図を見てわくわくしたことを思いだします。

 この本、とにかく翻訳がすばらしいんです。

 ノンフィクションの翻訳を担当してみてわかったのですが、「説明文」を「説明調」になりすぎずに訳すのは、本当に難しい。愕然としました。読者にまわりくどい、もたもたした、読みづらい印象を与えない文になるよう意識しているつもりなのに、なかなかうまくいかない。考え過ぎてよけいに「ややこしい」文章になってしまったり。

 この『奇妙な孤島の物語』の翻訳は、一言でいえば、美しいのです。原文を損ねることなく、かつ、流れるような日本語になっています。そんな翻訳ができるようになるためには、たくさん良質の文章(原書と翻訳の両方)に触れ、自分のものになるよう吸収していくしかない。この本は、まさにお手本になると思います。素敵な本と出会えました。

初日の出

 

 年明け早々、おもしろい本を読みました。

 

奇妙という名の五人兄妹

◆『奇妙という名の五人兄妹

アンドリュー・カウフマン:著 田内志文:訳

出版社の作品紹介ページ→東京創元社

 

 以前、同じ作者の作品(『銀行強盗にあって妻が縮んでしまった事件』)を読んだのですが、そちらも相当「奇妙」なお話でした。

 読み始めたときは、???という感じだったのですが、いつの間にか話に引きこまれていました。こういうシュールな作品はたぶん、いろいろな読み方があって、深読みしようと思えばいくらでもできるし、それはそれで面白いのですが、あまり難しく考えずに、ただ「不思議なお話だなぁ」と思って読むと、それだけで感じるものがある、そんな気がします。

 

 このお話では、両親の愛にあまり恵まれておらず、兄妹の仲もよいとはいえない五人の兄妹が、かなり強烈なキャラクターの祖母から、それぞれ「力」を授かります。ですが、恩寵となるはずのその「力」によって、反対に苦しい人生を送るはめになります。

この「力」から解放される方法がひとつだけある。それを知った五人が結集し、珍道中を繰り広げる、といったストーリーです。

 珍道中、という表現がふさわしいかどうかわかりませんが、わたしはかなり笑えました。作者のユーモアのセンス(そして、訳者・田内志文さんの絶妙な表現)と合うんでしょうか?

 

 テーマは「苦しみからの解放」という結構重くて暗いものなのですが、それを明るく表現するというのは、作者の筆力でしょうし、すごいことだなと思います。とにかく全編「普通じゃない」感じなのですが、それなのにすんなり読めてしまったのは、その奥に「ものすごく普遍的なこと」が書かれているからなんだと思います。親子、兄妹、夫婦と、いろんな家族の形が描かれているのですが、それがうまくいくのも、こじれてしまうのも、原因は同じ。平たく言えば、「愛」なんでしょう。

 愛があるか、ないか。愛がある(ありすぎる)せいで、うまくいかない場合もある。

 なんだか、物事ってとても逆説的だなと、この作品を読んで感じました。五人が授かった力にしても、祝福であるべきなのに、実際「呪い」になってしまっているし。

 

 この作品のいいところは、力から解放されたらそれで終わりじゃなく、そのあとも、ひと悶着あるところです。最後がなんともいえない。これでいいの? でも、これでいいんだ、と思わせてくれました。

 年の初めにこんなおもしろい本が読めて、今年はいいスタートが切れました!


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